新城探訪記〜山の湊新城の神社・お寺

大好きな町、山の湊新城をご紹介。神社、お寺、石造物が中心になるのかな。有名なところはすっ飛ばして、コアなところばかりかもしれません。

寺院

延寿庵・八名井

八名井を通過中、ナビに「回寿庵」と表示が出たので探索に。狭い路地の交差点に小さなお堂と灯籠を発見しました。806年に弘法大師によって開山されたと言われる八名井の今水寺。その12坊の一つがこの延寿庵(円寿庵とも)です。あれ? 回寿庵? 延寿庵?新城市…

永明庵跡・大野

臨済宗方広寺派の永明庵(ようめいあん)は、十一面観世音をご本尊とするお寺でした。少し離れた東南の山中に修行堂を持っていたと伝わりますが、琴森稲荷のことでしょうか。江戸末期に衰退し、廃仏毀釈の影響で無檀無住となっていたので、明治11年に淵龍寺に…

瑞穂稲荷と不二庵跡・大野

大野の旧街道を進むと、たくさんの花が咲いている一角があります。そこに「不二庵跡」「瑞穂稲荷」と書かれた看板があります。花だけでなく、立派な枝ぶりの松もあります。手入れも行き届いています。曲がってみると「庚申石仏」の文字も。期待が膨らみます…

淵龍寺・大野

天徳山淵龍寺は、臨済宗方広寺派で、ご本尊は十一面観音菩薩です。開基は応永10年(1403年)方広寺の第二世悦翁和尚で、大野の領主鈴木喜三郎の縁者でした。和尚は大野にあった禅林寺で修行していましたが、喜三郎が禅林寺を今の場所に移して淵龍寺となったよ…

咳の神様・宮ノ前

宗堅寺というお寺の墓地の奥に大きな枝垂桜があり、これから見頃を迎えます。その木の周りには歴代住職のお墓が並んでいますが、その横にぽつんと小さな祠が建っています。二つ並んだ祠には、咳の神様が祀られています。昔、お寺の前で倒れた人が、自分を祀…

宗堅寺・宮ノ前

幸雲山宗堅寺は、曹洞宗でご本尊は釈迦牟尼如来、文殊菩薩と普賢菩薩を脇立としています。野田城の戦いで武田信玄を狙撃したと伝わる信玄砲を所有する寺として有名です(現在は設楽原歴史資料館で展示)。天正元年(1572年)、野田城主菅沼定盈が建立した桐谷山…

淨泉寺・宮ノ西

新城駅への入り口にある淨泉寺は、山号を片桐山といい、真宗大谷派のお寺です。吉田城主池田輝政の家老片桐半右衛門が新城城に入り、母明連尼のために宗堅寺の西に建てた淨泉庵がその始まりです。後に半右衛門により淨泉寺でされ、慶安年間に現在地に移され…

大徳寺・豊栄

臨済宗南禅寺派の大徳寺は、山号を福聚山といい、正和元年(1312年)の草創と伝えられています。当初は今の裏山に建立されましたが、十一世和尚の時に現境内地の前の畑に移転し、更に元和年間(1615年〜1624年)、十四世和尚が現在地に伽藍を整備しました。現在…

石雲寺・名号

臨済宗方広寺派の石雲寺は、永禄元年(1558年)に琪庵霊光和尚によって創建されました。当初は名号山石雲庵と称したようですが、いつの頃からか永源山石雲寺と改められたようです。ご本尊は虚空蔵菩薩で、宝暦3年(1753年)の地蔵菩薩の掛け軸を所蔵しています。…

福住寺の大銀杏・宗高

平井の宗高地区には、福住寺の大銀杏があります。隣の楠と背比べするかのように育った木は、樹齢どらくらいなのでしょうか。現在は国道151号線がバイパス化し、旧道沿いのこちらは地元の人しか通りませんが、みんな毎日楽しみにしているでしょう。境内には黄…

城薮稲荷・長篠

長篠城のすぐ北側にある大通寺に、城薮稲荷という小さなお社があります。元は長篠城鎮守の稲荷のお使い、おとら狐を祀ったものです。長篠・設楽原の戦いの後、稲荷の本社は城と一緒に新城に移ったようですが、元の稲荷は末社として城内に残されました。しか…

安居院(大日堂)・乗本

鳶ヶ巣山砦に向かう途中、とても長めの良い場所に大日堂と呼ばれる建物があります。正式には大日山安居院と言います。坂道にあるのであまり広くはない境内ですが、石仏や供養塔などがたくさん並んでいます。火袋の無くなってしまった石燈籠は、宝暦5年(1755…

桃牛寺・的場

曹洞宗の和秀山桃牛寺は、天正4年(1576年)、菅沼定継の家臣城所道寿の孫丸山九郎左衛門吉之が結んだ庵が始まりです。最初に牛が東から木材を運んできたので東牛庵と呼ばました。行基作の十一面観音様を本尊としたそうです。関ヶ原の後、中国の古い詩から東を…

最勝院・東新町

秋葉神社のすぐ奥に浄土宗の最勝院があります。現在は一行山最勝院と言いますが、かつては新緑山三勝院と言われたそうです。門をくぐると可愛らしい道祖神がひっそりといらっしゃいました。自然石を使った庚申塔がかっこいいです。本堂はは享保8年の再建でし…

永観寺・清井田

元は尼寺で、現在は集会所として使われている永観寺。曹洞宗で山号は高寿山です。創建や由緒は調べても分かりませんでした。この寺号がなければお寺だとは気づきません。達筆すぎて読めませんが。境内には小さなお堂が二つ。こちらは三つの小部屋に分かれて…

永観寺・清井田

元は尼寺で、現在は集会所として使われている永観寺。曹洞宗で山号は高寿山です。創建や由緒は調べても分かりませんでした。この寺号がなければお寺だとは気づきません。達筆すぎて読めませんが。境内には小さなお堂が二つ。こちらは三つの小部屋に分かれて…

金龍院・吉川

吉川地区には人口に対して寺院が多いようです。曹洞宗の舩着山金龍院は天正年間に没した蘆庵契寅の開山と伝えられます。山門への道は両端に桜の木が並び、春には綺麗な道となるのでしょう。ぜひ覚えておいて、春にも来たいと思います。参道横に手作りらしい…

金龍院・吉川

吉川地区には人口に対して寺院が多いようです。曹洞宗の舩着山金龍院は天正年間に没した蘆庵契寅の開山と伝えられます。山門への道は両端に桜の木が並び、春には綺麗な道となるのでしょう。ぜひ覚えておいて、春にも来たいと思います。参道横に手作りらしい…

禅源寺・川合

JAの菌床センターから東に入ると、滹沱山禅源寺があります。臨済宗永源寺派で、御本尊は弘法大師作と言われる地蔵菩薩です。山号は「こださん」と読み、おそらく中国の滹沱河に由来していると思われます。古くは清現寺と称し真言宗でした。天正元年の滝山の…

法輪寺・戸津呂

戸津呂の駐在所の上に金峯山法輪寺があります。以前から法輪庵と言われていた小堂を長者平正眼寺の開祖の隠居所としたものが、一度中絶して16世紀に再興されたものです。立派な本堂の周りには、六地蔵や三界萬霊塚、百八箇所結願碑などがあり、きちんと榊が…

十王堂と馬頭観音・塩沢

日吉神社や善勝寺から丘を越えるように進むと、ちょうどてっぺんあたりに十王堂があります。説明板もなく、詳しいことはほとんど分かりません。新しいお堂の中に、きっと江戸時代のものであろう十王様が並んでいます。十王様は、地獄で亡者の審判を行う裁判…

善勝寺・塩沢

日吉神社の北側、通りからは少し外れたところに広場があります。よく見ると石段やお堂があり、見る人が見るとお寺だということが分かります。逆を言えば、ほとんどの人が気づかないでしょう。そう思って見れば、何となく参道に見えます。花頭窓が無ければ普…

妙見堂・滝ノ上

桜淵の公衆トイレの横に妙見堂へ登る石段があります。駐車場もあるので、訪問しやすいところです。慶安元年(1648年)、新城城主菅沼定実が丹波亀山から移封されたとき、北辰(北斗七星)妙見菩薩を勧請し、お城の鬼門を守ったと言われています。古いお堂は昭和…

永住寺・裏野

曹洞宗のお寺で、山号は延命山。釈迦如来を本尊とします。1513年に大谷城主の菅沼定広が弟の文翼に上平井村に建立させました。しかし文翼は師である大洞山の琴室契音を開山としました。定広の子の定継が現在地に移し、今川氏に安堵されましたが、武田氏の兵…

十王堂と六地蔵・西新町

観音堂の前には十王堂があり、いろいろな石造物も並んでいます。この地区には七戸詣というものがあって、お寺やお堂を巡りながら提灯を納めていく行事があるそうです。今年の8月には前の道にずらりと行列ができたそうです。普段は閉まっていますが、たまたま…

西新町観音堂・西新町

西新町公民館のお隣(と言うか繋がってますが)に観音堂があります。いつも「中はどうなっているのだろう」と思って通っていたのですが、たまたま祭の準備のために掃除をされている方がいて、無理を言って中を見せてもらいました。詳しい方が今入院中で説明で…

観音堂・明和

川尻城址に向かおうと思ったら、その手前で素敵な石仏群やお堂に出会いました。石仏や石碑には銘文があるのですが、お堂は中が見えないとわかりません。向かいにある食事処「松」さんに聞いてみました。おばあさんが教えてくださったのは、これが観音堂だと…

十王堂・市場

岩波の吉祥院にもあった十王堂。市場の共同墓地にもありました。文化財保護のため、お堂は施錠されていますが、ガラス窓から中の様子を伺うことができます。中央に阿弥陀如来、その右隣に閻魔王を祀り、その左右と下段に残りの十王が配置されています。三途…

弘法堂・東田原

以前、東田原の弘法堂を紹介しましたが、何とすぐ近くにもう一つの弘法堂があります。お堂の周りには馬頭観音や西国巡礼の結願の石碑がたくさん立っています。お堂には鍵がかけられているので、隙間から中を確認してみると、まだ新しい金色の弘法様がいらっ…

吉祥院・岩波

岩波は古文書では「岩滑」「岩浪」とも表記されています。鴨ヶ谷から愛郷に抜ける街道沿い、岩浪バス停の横に臨済宗永源寺派の巌雲山吉祥院があります。岩波の集会所と本堂がつながっているほど地域と密接なお寺です。本堂横には十王堂があります。地獄の裁…