新城探訪記〜山の湊新城の神社・お寺

大好きな町、山の湊新城をご紹介。神社、お寺、石造物が中心になるのかな。有名なところはすっ飛ばして、コアなところばかりかもしれません。

2023-01-01から1年間の記事一覧

延寿庵・八名井

八名井を通過中、ナビに「回寿庵」と表示が出たので探索に。狭い路地の交差点に小さなお堂と灯籠を発見しました。806年に弘法大師によって開山されたと言われる八名井の今水寺。その12坊の一つがこの延寿庵(円寿庵とも)です。あれ? 回寿庵? 延寿庵?新城市…

琴森稲荷・大野

永明庵跡のある東陽小学校のプール脇に「霊感あらたかな琴森稲荷」の看板があり、山の中に続く細い道が見えます。数年前までは登り口にも真っ赤な鳥居があり、お稲荷さんがあることが明確でしたが、古くなって危険だったのか、現在は撤去されています。ジグ…

永明庵跡・大野

臨済宗方広寺派の永明庵(ようめいあん)は、十一面観世音をご本尊とするお寺でした。少し離れた東南の山中に修行堂を持っていたと伝わりますが、琴森稲荷のことでしょうか。江戸末期に衰退し、廃仏毀釈の影響で無檀無住となっていたので、明治11年に淵龍寺に…

瑞穂稲荷と不二庵跡・大野

大野の旧街道を進むと、たくさんの花が咲いている一角があります。そこに「不二庵跡」「瑞穂稲荷」と書かれた看板があります。花だけでなく、立派な枝ぶりの松もあります。手入れも行き届いています。曲がってみると「庚申石仏」の文字も。期待が膨らみます…

淵龍寺・大野

天徳山淵龍寺は、臨済宗方広寺派で、ご本尊は十一面観音菩薩です。開基は応永10年(1403年)方広寺の第二世悦翁和尚で、大野の領主鈴木喜三郎の縁者でした。和尚は大野にあった禅林寺で修行していましたが、喜三郎が禅林寺を今の場所に移して淵龍寺となったよ…

大野頭首工と桜・大野

新城市には三河嵐山と呼ばれる桜淵公園をはじめ、たくさんの桜の名所があります。旧鳳来町の大野地区にある豊川用水の大野頭首工もその一つです。豊川は長篠城の直下で寒狭川と宇連川に分かれます。飯田線や宇連川沿いに車を走らせると、見えてくる頭首工。…

咳の神様・宮ノ前

宗堅寺というお寺の墓地の奥に大きな枝垂桜があり、これから見頃を迎えます。その木の周りには歴代住職のお墓が並んでいますが、その横にぽつんと小さな祠が建っています。二つ並んだ祠には、咳の神様が祀られています。昔、お寺の前で倒れた人が、自分を祀…

宗堅寺・宮ノ前

幸雲山宗堅寺は、曹洞宗でご本尊は釈迦牟尼如来、文殊菩薩と普賢菩薩を脇立としています。野田城の戦いで武田信玄を狙撃したと伝わる信玄砲を所有する寺として有名です(現在は設楽原歴史資料館で展示)。天正元年(1572年)、野田城主菅沼定盈が建立した桐谷山…

淨泉寺・宮ノ西

新城駅への入り口にある淨泉寺は、山号を片桐山といい、真宗大谷派のお寺です。吉田城主池田輝政の家老片桐半右衛門が新城城に入り、母明連尼のために宗堅寺の西に建てた淨泉庵がその始まりです。後に半右衛門により淨泉寺でされ、慶安年間に現在地に移され…

大徳寺・豊栄

臨済宗南禅寺派の大徳寺は、山号を福聚山といい、正和元年(1312年)の草創と伝えられています。当初は今の裏山に建立されましたが、十一世和尚の時に現境内地の前の畑に移転し、更に元和年間(1615年〜1624年)、十四世和尚が現在地に伽藍を整備しました。現在…

石雲寺・名号

臨済宗方広寺派の石雲寺は、永禄元年(1558年)に琪庵霊光和尚によって創建されました。当初は名号山石雲庵と称したようですが、いつの頃からか永源山石雲寺と改められたようです。ご本尊は虚空蔵菩薩で、宝暦3年(1753年)の地蔵菩薩の掛け軸を所蔵しています。…