桃牛寺・的場
曹洞宗の和秀山桃牛寺は、天正4年(1576年)、菅沼定継の家臣城所道寿の孫丸山九郎左衛門吉之が結んだ庵が始まりです。最初に牛が東から木材を運んできたので東牛庵と呼ばました。行基作の十一面観音様を本尊としたそうです。
関ヶ原の後、中国の古い詩から東を桃に改め、更に正徳3年(1713年)に新城城主水野元綱が桃牛寺と改めました。元綱の母が没した時にその住居を本堂とし、現在は書院として残っているそうです。
境内はとても綺麗に整備され、緑が美しいお寺です。
山門は元は長篠城の裏門であったものを永住寺を経て、こちらに移したものだそうです。山門前の石燈籠は宝珠が取れてしまい、台の部分に置かれていました。
このお寺の境内にはたくさんの仏像が並んでいて、なんだか仏様たちに守られているような感じがしてきます。