新城探訪記〜山の湊新城の神社・お寺

大好きな町、山の湊新城をご紹介。神社、お寺、石造物が中心になるのかな。有名なところはすっ飛ばして、コアなところばかりかもしれません。

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

井道のお稲荷様と謎の燈籠・井道

井道地区を散歩していたら、広場に真っ赤な鳥居を見つけました。井道のお稲荷様です。元々はもう少し豊川に近い丘の上にあったそうです。子どもの夜泣きがひどく、占いで荒れ果てたお稲荷様をきちんと祀れば良いと出たので、ここに移し、社を建てたそうです…

秋葉燈籠とお地蔵様・清井田

新東名新城ICのランプウェイ脇に、立派な秋葉燈籠が立っています。 裏面を見ると文政3年(1820年)の銘があります。文政年間に秋葉燈籠や常夜燈を作るのが流行ったのでしょうか。火袋には蝋燭の跡も電球もないので、現在はもう火が灯されていないのが分かりま…

永観寺・清井田

元は尼寺で、現在は集会所として使われている永観寺。曹洞宗で山号は高寿山です。創建や由緒は調べても分かりませんでした。この寺号がなければお寺だとは気づきません。達筆すぎて読めませんが。境内には小さなお堂が二つ。こちらは三つの小部屋に分かれて…

永観寺・清井田

元は尼寺で、現在は集会所として使われている永観寺。曹洞宗で山号は高寿山です。創建や由緒は調べても分かりませんでした。この寺号がなければお寺だとは気づきません。達筆すぎて読めませんが。境内には小さなお堂が二つ。こちらは三つの小部屋に分かれて…

清井田学校跡・清井田

国道151号線から永観寺へ向かう坂道に、真新しい石碑が建っていました。明治4年から7年の間、ここに清井田学校があったそうです。この碑は令和4年の3月に個人の方によって建てられました。清井田村が八束穂村、信楽村、東郷村、新城町、新城市と名前を変えて…

日吉神社・吉川

大入川と県道392号線が分かれていくあたりに舟着小学区に多い日吉神社があります。創建は明らかではありませんが、過去の棟札や検地帳に六所大明神宮、白山権現社、山王権現社、伊豆権現社など様々に記載され、祭神がどんどん変わっているのが分かります。明…

日吉神社・吉川

大入川と県道392号線が分かれていくあたりに舟着小学区に多い日吉神社があります。創建は明らかではありませんが、過去の棟札や検地帳に六所大明神宮、白山権現社、山王権現社、伊豆権現社など様々に記載され、祭神がどんどん変わっているのが分かります。明…

豊田藤助の墓・吉川

金龍院の裏にある墓地に豊田藤助という人のお墓があります。彼は長篠・設楽原の戦いの中、鳶ケ巣山砦を奇襲する酒井忠次らを道案内した地元の人です。彼の案内により奇襲は成功し、家康軍を勝利に導いたと言ってもよいでしょう。周りの墓石を見てみると、ほ…

金龍院・吉川

吉川地区には人口に対して寺院が多いようです。曹洞宗の舩着山金龍院は天正年間に没した蘆庵契寅の開山と伝えられます。山門への道は両端に桜の木が並び、春には綺麗な道となるのでしょう。ぜひ覚えておいて、春にも来たいと思います。参道横に手作りらしい…

金龍院・吉川

吉川地区には人口に対して寺院が多いようです。曹洞宗の舩着山金龍院は天正年間に没した蘆庵契寅の開山と伝えられます。山門への道は両端に桜の木が並び、春には綺麗な道となるのでしょう。ぜひ覚えておいて、春にも来たいと思います。参道横に手作りらしい…

馬頭観音・明和

大府市野外教育センターの入り口にぽつんと石仏がありました。以前通りかかった時に見つけて、後日じっくり見るつもりで楽しみにしていました。牛馬安全と書かれているので、馬頭観音だとわかります。建立年がはっきり読み取れませんが、「治」の字のように…

禅源寺・川合

JAの菌床センターから東に入ると、滹沱山禅源寺があります。臨済宗永源寺派で、御本尊は弘法大師作と言われる地蔵菩薩です。山号は「こださん」と読み、おそらく中国の滹沱河に由来していると思われます。古くは清現寺と称し真言宗でした。天正元年の滝山の…

秋葉燈籠・野郷

野郷のバス停脇、少し低くなっているので車からは見えにくいところに秋葉燈篭があります。脇のお宅の土地かもしれないので、許可をいただいて写真を撮りました。子どもの頃には蝋燭をつけていた覚えはあるけれど、ということなので、今は燈篭としての機能は…

子守地蔵尊・長者平

郵便局の近くに大きなお地蔵さまが立っています。赤子を抱いているので子守地蔵だということはわかるのですがずっと気になっていました。思い切ってすぐ近くのお家に尋ねてみると、詳しくはわからないけれど…と言って教えてくださいました。継母にいじめられ…

法輪寺・戸津呂

戸津呂の駐在所の上に金峯山法輪寺があります。以前から法輪庵と言われていた小堂を長者平正眼寺の開祖の隠居所としたものが、一度中絶して16世紀に再興されたものです。立派な本堂の周りには、六地蔵や三界萬霊塚、百八箇所結願碑などがあり、きちんと榊が…

徳住上人名号碑・杉平

旧協和小学校校門の脇から細い坂を登っていくと、杉平の共同墓地合があります。ここに、徳住上人の名号碑があります。正面には「南無阿弥陀仏」の名号が、右面には「天保十己亥十一月吉日」と彫られているだけなので、何の結願記念なのかはわかりません。そ…

馬頭観音・善夫

雨の中、善夫菅沼川沿いの小さな四辻に石仏を見つけました。開けた場所にあるため、風雨をよけられず風化が進んでいますが、頭部の形から馬頭観音だと思われます。銘も確認できないのでいつの頃のものかもわかりませんが、川沿いにぽつんとある様が、昔観た…

秋葉神社・東新町

東新町駅から桜淵公園へ続く道から一本外れた細道、最勝院への参道脇に小さな秋葉神社があります。鳥居も狛犬もなく、常夜燈がなければ気づかないかも知れません。しかも境内は貸駐車場として使われています。筆者は個人的にこの扁額の文字が大好きです。脇…

舟多神社・乗本

別所街道沿いに乗本の舟多神社があります。道よりも少し高い場所にあるので、運転していると気づかないかも知れません。創建ははっきりしないそうですが、昔は諏訪神社と呼んでいたそうで、明治から舟多神社と改称したそうです。境内より一段下にある大神宮…

三界萬霊等・塩沢

塩沢の十王堂から別所街道に戻る途中、道端に何かを見つけました。道に向けて建てられているのではないので、おそらく個人でお祀りしているものでしょう。こちらの石碑には「三界萬霊等」と書かれています。不勉強で知らなかったため、少し調べてみると、三…

十王堂と馬頭観音・塩沢

日吉神社や善勝寺から丘を越えるように進むと、ちょうどてっぺんあたりに十王堂があります。説明板もなく、詳しいことはほとんど分かりません。新しいお堂の中に、きっと江戸時代のものであろう十王様が並んでいます。十王様は、地獄で亡者の審判を行う裁判…

善勝寺・塩沢

日吉神社の北側、通りからは少し外れたところに広場があります。よく見ると石段やお堂があり、見る人が見るとお寺だということが分かります。逆を言えば、ほとんどの人が気づかないでしょう。そう思って見れば、何となく参道に見えます。花頭窓が無ければ普…

日吉神社・塩沢

別所街道から少し奥に入ったところ、塩沢の構造改善センター横に、日吉神社があります。この辺りにはいくつかの日吉神社が点在しています。創立は文治2年(1186年)ことです。源頼朝が全国に守護地頭を置く許可をもらった翌年ですね。明るい境内に綺麗な社殿で…

新河岸の渡し跡・東入船

桜淵の妙見堂から小さな桜橋を渡ると左側に新河岸の渡し跡があります。ガードレールが切れていますが、車を停めるほどの場所はないので、妙見堂のところの駐車場に停めてくることをお勧めします。ほんの少し坂を降りたらすぐに渡し跡です。たくさんの街道が…

妙見堂・滝ノ上

桜淵の公衆トイレの横に妙見堂へ登る石段があります。駐車場もあるので、訪問しやすいところです。慶安元年(1648年)、新城城主菅沼定実が丹波亀山から移封されたとき、北辰(北斗七星)妙見菩薩を勧請し、お城の鬼門を守ったと言われています。古いお堂は昭和…

永住寺の亀・的場

永住寺の山門をくぐり、夢栄稲荷への参道との分かれ道の角に石碑が立っています。何気なく見逃すかもしれませんが、石碑が亀に乗っているんです。 この石碑は桜淵の妙見堂にあったものが昭和5年のお堂の火事の後にここに移されたものです。妙見堂とは、北辰(…

永住寺の弘法堂と繋がった建物に「夢栄殿」の扁額が掲げられています。ナビの地図では夢栄稲荷、国土地理院の地図では夢栄神社となっています。永住寺と合わせた境内の配置は豊川稲荷と同じです。扁額の独特の文字が、夢っぽくていいですね。屋根の上には瓦…

永住寺・裏野

曹洞宗のお寺で、山号は延命山。釈迦如来を本尊とします。1513年に大谷城主の菅沼定広が弟の文翼に上平井村に建立させました。しかし文翼は師である大洞山の琴室契音を開山としました。定広の子の定継が現在地に移し、今川氏に安堵されましたが、武田氏の兵…

十王堂と六地蔵・西新町

観音堂の前には十王堂があり、いろいろな石造物も並んでいます。この地区には七戸詣というものがあって、お寺やお堂を巡りながら提灯を納めていく行事があるそうです。今年の8月には前の道にずらりと行列ができたそうです。普段は閉まっていますが、たまたま…

西新町観音堂・西新町

西新町公民館のお隣(と言うか繋がってますが)に観音堂があります。いつも「中はどうなっているのだろう」と思って通っていたのですが、たまたま祭の準備のために掃除をされている方がいて、無理を言って中を見せてもらいました。詳しい方が今入院中で説明で…