大徳寺・豊栄
臨済宗南禅寺派の大徳寺は、山号を福聚山といい、正和元年(1312年)の草創と伝えられています。当初は今の裏山に建立されましたが、十一世和尚の時に現境内地の前の畑に移転し、更に元和年間(1615年〜1624年)、十四世和尚が現在地に伽藍を整備しました。
現在の本堂は、明治22年に火災に遭って消失した後、明治24年に庫裡や玄関と一緒に建てられたものです。本堂脇には赤い鳥居の稲荷社もあります。
山門は明治の火災を免れ、現存しています。
本堂前のハクモクレンは、目通り167cmの古木で、訪問した3月半ばに満開の花を咲かせていました。
幹に空洞があり、かなり木自体は痛んでいますが、毎年元気に花をつけ、この日もたくさんのお客さんが写真を撮りに来ていました。
境内の裏手や墓地周りにはとても大きな木が並んでいます。住職によると、「肥料なし剪定なし」だからこそ、こんなに大きくなってこんなにたくさんの花をつけるのだそうです。