新城探訪記〜山の湊新城の神社・お寺

大好きな町、山の湊新城をご紹介。神社、お寺、石造物が中心になるのかな。有名なところはすっ飛ばして、コアなところばかりかもしれません。

常夜燈

福住寺の大銀杏・宗高

平井の宗高地区には、福住寺の大銀杏があります。隣の楠と背比べするかのように育った木は、樹齢どらくらいなのでしょうか。現在は国道151号線がバイパス化し、旧道沿いのこちらは地元の人しか通りませんが、みんな毎日楽しみにしているでしょう。境内には黄…

秋葉燈籠・大宮

国道151号線バイパスから大宮の交差点を南に少し下ったところに秋葉燈籠と小さなお堂があります。南を向いているのですが、すぐ隣に大宮大坪組公会堂があるため、いつも暗くてよく見えない場所です。朝、そこを通ったので立ち寄ってみました。秋葉燈籠は、破…

井道のお稲荷様と謎の燈籠・井道

井道地区を散歩していたら、広場に真っ赤な鳥居を見つけました。井道のお稲荷様です。元々はもう少し豊川に近い丘の上にあったそうです。子どもの夜泣きがひどく、占いで荒れ果てたお稲荷様をきちんと祀れば良いと出たので、ここに移し、社を建てたそうです…

秋葉燈籠とお地蔵様・清井田

新東名新城ICのランプウェイ脇に、立派な秋葉燈籠が立っています。 裏面を見ると文政3年(1820年)の銘があります。文政年間に秋葉燈籠や常夜燈を作るのが流行ったのでしょうか。火袋には蝋燭の跡も電球もないので、現在はもう火が灯されていないのが分かりま…

秋葉燈籠・野郷

野郷のバス停脇、少し低くなっているので車からは見えにくいところに秋葉燈篭があります。脇のお宅の土地かもしれないので、許可をいただいて写真を撮りました。子どもの頃には蝋燭をつけていた覚えはあるけれど、ということなので、今は燈篭としての機能は…

秋葉燈籠・西新町

西新町公民館と観音堂の前にがっしりとした秋葉燈籠あります。裏面には寛政年間の銘があります。火袋には裸電球が。夜になると自動的に灯りが灯るタイプのようです。どうして伊奈街道からも外れたこんな路地にあるのか不思議に思って調べてみました。近くの…

常夜燈・東入船

新城市役所の前、蒲郡信用金庫の横の細い道を入ってすぐのところに、とても背の高い常夜燈があります。現在は駐車場の一角ですが、以前はごみ収集の会社があったように記憶しています。道路側が背面で、駐車場側の前面に「常夜燈」の文字が刻まれています。…

常夜燈・東入船

新城市役所の前、蒲郡信用金庫の横の細い道を入ってすぐのところに、とても背の高い常夜燈があります。現在は駐車場の一角ですが、以前はごみ収集の会社があったように記憶しています。道路側が背面で、駐車場側の前面に「常夜燈」の文字が刻まれています。…

橋向秋葉神社常夜燈・橋向

新城駅北側の富永神社のそのまた北側に、解体された常夜燈がひっそりと置かれています。これは橋向にあった秋葉神社の常夜燈を移設したものです。200年が経過し、風化、損傷が激しく、安全のために富永神社境内に納められたものです。すぐ隣にこども園もあり…

鳳来寺道・寺林から大久保

豊栄の大當峯神社のそばに立派な常夜燈があります。火袋はコンクリート製に替えられています(神社の灯籠も同様です)。秋葉大権現と並んで峯の薬師様の名前が。これは鳳来寺のことです。銘は天保6年(1835年)。天保の大飢饉や大塩平八郎の乱、蛮社の獄の少し前…

石燈籠・川手

川手のバス停近くに、不思議な形の石造物があります。正面には御神灯の文字があります。これは石灯籠の真ん中の部分が欠損してしまったものです。火袋と呼ばれる、蝋燭を灯す一番大切なところなのですが、地震などで倒れると一番壊れやすいところでもありま…

秋葉燈籠・市場

清岳の信号で止まっていると、いつもこの燈籠が気になっていました。立派な秋葉燈籠です。遠州の秋葉神社(神仏分離前は秋葉権現や秋葉寺)に続く秋葉街道筋にあるものです。秋葉様は防火の神様。台所にお札が貼ってありませんか? 年号は文化14年。西暦では18…

秋葉燈籠2・富沢

旧国道151号線を鳳来方面に少し進み、光明寺に入っていく脇道にもう一つの秋葉燈籠があります。車もほとんど通らないところなので、見つけた時はわくわくしました。燈籠自体は小振りなのですが、台の上に載っているのでかなり大きく感じます。ここの火袋にも…

秋葉燈籠・富沢

旧国道151号線は古くは伊那街道と呼ばれ、江戸時代からの石造物がたくさん残っています。富沢公民館の近くには、文政8年の銘がある秋葉燈籠が「防火水そう」の標識に隠れるように立っています。火除けの神様への信仰が、現在の防火設備と一緒にあるというの…

常夜燈・下平井

東新町駅の北側、やすらぎホールしんしろの向かい側に立派な常夜燈があります。今までは秋葉灯籠だと思っていましたが、「秋葉山」の文字がないため、ここにあった清龍寺にまつわるものだと考えられます。下平井村の村中安全を願い、文化年間に建てられたも…