新城探訪記〜山の湊新城の神社・お寺

大好きな町、山の湊新城をご紹介。神社、お寺、石造物が中心になるのかな。有名なところはすっ飛ばして、コアなところばかりかもしれません。

延寿庵・八名井

八名井を通過中、ナビに「回寿庵」と表示が出たので探索に。狭い路地の交差点に小さなお堂と灯籠を発見しました。
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806年に弘法大師によって開山されたと言われる八名井の今水寺。その12坊の一つがこの延寿庵(円寿庵とも)です。あれ? 回寿庵? 延寿庵?
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新城市指定の仏像が2体あります。十一面観音立像は元々今水寺にあったもので、平安期の作。大日如来坐像は江戸期の作です。
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お堂に掲げられた銘板にはしっかりと「延寿庵」とありますが、ぱっと見「廻」にも見えるので、ナビ製作の会社の方が見間違えたのでしょうか。

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お賽銭を入れる隙間から覗いてみると、幾つもの厨子と、仏具らしきものがきちんと並べられています。

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お堂の横には石仏群があります。その中には庚申碑もあります。
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弘法様の横に「四番」とあるのは何かと思っていましたが、近くの集会所にあった文化財ガイドマップによると、この八名井地区に今水寺を中心にして33体の弘法様があるそうです。
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境内には秋葉様も祀られています。
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秋葉灯籠は文政年間の銘のある、どっしりとした力強いものです。
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今水寺は大きなお寺でしたが早くに廃れてしまい、天正年間にはすでにこの延寿庵しか残っていなかったとされています。ただし、今水寺跡の説明板には、なぜかこのお堂は今水庵と書かれています。いろんな名前で呼ばれるお堂ですね。

琴森稲荷・大野

永明庵跡のある東陽小学校のプール脇に「霊感あらたかな琴森稲荷」の看板があり、山の中に続く細い道が見えます。
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数年前までは登り口にも真っ赤な鳥居があり、お稲荷さんがあることが明確でしたが、古くなって危険だったのか、現在は撤去されています。
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ジグザグ道に手すりがついていて、なんだかわくわくする道です。
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途中一箇所だけ分かれ道がありますが、右に進んでください。左の方が石段ぽいですが、何もありません。

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分かれ道からすぐに赤い幟旗がたくさん見えてきます。真新しい布地なので、最近お祭があったのでしょうか。
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琴森稲荷は、大野の領主鈴木喜三郎が、城山の南の鎮守として築かれ、後に永明庵の守護神としても祀られたそうです。
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大野は古くは秋葉街道の宿場町として栄えました。そのため、このお稲荷さんも商売繁盛の神様や、無くし物をした時の神様として崇敬され、今でも参詣者が絶えないとのことです。
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山の中にある小さな神社なのに、とても綺麗に保たれ、新しい榊も供えられています。祠の中には祝詞らしき巻物も見えます。
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お稲荷さんの周りは写真のように何も無いのですが、全然寂しくありません。何故なら3月末のこの日、五月蝿いくらいにカエルが鳴いていたからです。人の気配で黙ることもなく、呼びかけてもお構いなしに鳴き続けていました。きっと産卵に来ているんでしょうね。
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永明庵跡・大野

臨済宗方広寺派の永明庵(ようめいあん)は、十一面観世音をご本尊とするお寺でした。少し離れた東南の山中に修行堂を持っていたと伝わりますが、琴森稲荷のことでしょうか。江戸末期に衰退し、廃仏毀釈の影響で無檀無住となっていたので、明治11年に淵龍寺に合併されました。
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高台にある庵跡は明治37年には大野小学校が建てられ、昭和51年に大野、豊栄、能登瀬、細川、阿寺の5校が合併して現在の東陽小学校として、この地に残っています。
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小学校の坂を登った玄関前にはカヤの古木があります。これは永明庵の境内にあったものだと言われています。
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たくさん広がった枝は、子どもたちに日影を作ってくれます。
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しかし、幹には大きな空洞があり、その歴史を感じます。
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カヤのきよ横にある金次郎像は大野小学校の頃のもので、初代は昭和13年に建てられました。現在のものは二代目ですが、それでも昭和25年のものです。
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土台となっている大きな石には楔の跡がありました。
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訪問した日はちょうど桜が満開の頃で、運動場で練習している野球少年たちと保護者の皆さんが、シートを敷いてお花見を楽しんでいました。
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瑞穂稲荷と不二庵跡・大野

大野の旧街道を進むと、たくさんの花が咲いている一角があります。そこに「不二庵跡」「瑞穂稲荷」と書かれた看板があります。
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花だけでなく、立派な枝ぶりの松もあります。手入れも行き届いています。
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曲がってみると「庚申石仏」の文字も。期待が膨らみます。
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現在瑞穂稲荷が建つこの場所は、元々は不二庵というお寺がありました。天正元年(1573年)に光山天宝和尚によって開山された不二庵では、永禄年間に名僧春岳祖栄が修行し、淵龍寺中興の祖となりました。IMG_6108
春岳祖栄は稲荷を深く信仰したとのことで、境内に勧進したのが瑞穂稲荷です。
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廃仏毀釈の影響で無檀無住となり、明治24年に淵龍寺に合併という形を取りました。しかし稲荷社だけはここに残し、共同墓地の関係者によって今も盛大に祭りが行われています。声をかけてくださった方が元区長さんで、謂れをたくさん教えてくださいました。廃仏毀釈の影響でお墓を神道のものとし、仏道のものと合わせて広げられたそうです。
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社殿前の石灯籠は普通よりも小さく、可愛らしいものでした。
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境内にある丸い石が力石で、92.6kgもあり、昔の人々が力比べに使ったものだそうです。
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境内にはとても古い石仏が二つあります。更新の石像は享保12年(1727年)の名があります。

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観音像は風化が進み、お顔も年代もよく見えなくなっていました。

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東陽小学校の運動場のすぐ横にあり、子どもたちの声が聞こえる明るいお稲荷さんでした。

淵龍寺・大野

天徳山淵龍寺は、臨済宗方広寺派で、ご本尊は十一面観音菩薩です。開基は応永10年(1403年)方広寺の第二世悦翁和尚で、大野の領主鈴木喜三郎の縁者でした。和尚は大野にあった禅林寺で修行していましたが、喜三郎が禅林寺を今の場所に移して淵龍寺となったようです。
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山門横には真っ赤な鳥居と幟が並ぶ天徳稲荷があります。大野にはお寺と縁のあるお稲荷さんがたくさんあるようです。
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天正3年(1575年)の長篠・設楽原の戦で戦火に遭い、全て焼失してしまったそうです。天正10年(1582年)に再興され、将軍家光公より、朱印22石を賜って明治維新を迎えました。
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明治の廃仏毀釈の難に遭い、ほとんどの建物が壊されましたが、庫裡だけが残されました。その後少しずつ復興し、明治11年に永明庵を、明治24年には不二庵を合併して今に至っています。

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庫裡の前にある大木は「先祖返りのヒヨクヒバ」と呼ばれ、下の部分がスイリュウヒバ、上の部分がその原種であるサワラだと言われています。
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本堂と境内の墓地の間には大野領主で禅林寺開山の鈴木喜三郎隆友の墓碑があります。禅林寺を移して淵龍寺を開山した鈴木喜三郎玄喜は二代目領主です。
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このお寺から飯田線三河大野駅に向かう途中に、立派な石仏がありますが、個人の敷地のようで銘などを確認することができません。お地蔵様のようであり、弘法様のようであり。しかし、手に錫杖や宝珠も独鈷も持っていません。
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お寺の駐車場には桜の花が鮮やかに咲いていました。通りから少し奥まったところにあるお寺ですが、明るくて素敵なお寺でした。
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※追記(鳳来町誌より)
大野の黒渕というところに龍が住んでいて、田畑を荒らしたり、人々に危害を加えたりしたという。大野の領主鈴木喜三郎の縁者悦翁は、この龍を封じ込めようと、黒淵の岸で読経を続け、龍を封じ止めたという。そこから彼が開基となったこの寺は淵龍寺と名付けられ、龍の白骨が寺宝として保存されているという。

大野頭首工と桜・大野

新城市には三河嵐山と呼ばれる桜淵公園をはじめ、たくさんの桜の名所があります。旧鳳来町の大野地区にある豊川用水の大野頭首工もその一つです。
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豊川は長篠城の直下で寒狭川と宇連川に分かれます。飯田線宇連川沿いに車を走らせると、見えてくる頭首工。でも川の右岸からも左岸からもどうやっていったら良いのか分かりにくいのが難点です。大野側からは民家の間の細い道を入り、この橋を渡ります。
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豊栄側からは工事中の為、車では入れませんが、迫力のある建造物が迎えてくれます。
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頭首工の上から眺める宇連川下流です。満開の桜が綺麗です。

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よく見ると1本、おかしな桜が…。根本から倒れて根っこが露わになっているのに、しっかりと花を咲かせています。
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頭首工から流れる用水にも、桜の花びらがたくさん浮かんでいます。
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宇連川左岸を流れる水は、遠く渥美半島蒲郡まで自然流下で届き、人々の生活を支えています。
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1961年完成の大野頭首工は、重力式コンクリート堰です。2階にある事務所でダムカードも配布されています。この日も桜を撮りに来た二人のカメラマンが嬉しそうに眺めながら帰って行きました。
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咳の神様・宮ノ前

宗堅寺というお寺の墓地の奥に大きな枝垂桜があり、これから見頃を迎えます。その木の周りには歴代住職のお墓が並んでいますが、その横にぽつんと小さな祠が建っています。
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二つ並んだ祠には、咳の神様が祀られています。昔、お寺の前で倒れた人が、自分を祀ってくれたら喉の病気は治してあげるのにと言い残して亡くなり、みんなで葬ったとのことです。
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風邪の神様で咳が出る時にご利益があると伝わります。治ったらまめ(健康)になった証として豆を供えるそうです。
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今ではこのお話を知る人も少なくなり、お参りする人もほとんどいないようです。かく言う私も今まで知らなかったので、最近になって何度もお詣りしています。

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宗堅寺の周りには可愛らしいお花がたくさん咲いています。このお寺の開基とされる菅沼定実公は、三河の嵐山になれと、桜淵にたくさんの桜の木を植えた方です。やはりお花には縁があるのでしょうね。