一筆啓上・東郷地区
「日本一短い手紙」として有名な手紙があります。
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
作者は鬼作左と呼ばれ恐れられた、本多作左衛門重次。家康の家来です。
長篠・設楽原の戦いの折、陣中から奥方に書かれた手紙。どこで書かれたかははっきり分かりませんが、家康の本陣を裏山にもつ東郷中学校の敷地に写真のような看板が掲げられています。
同じ東郷地区にある新城市消防防災センターにも石碑があります。
火の用心は消防の基本です。
ここに書かれたお仙とは幼名仙千代、のちの丸岡藩主本多成重です。そして、家康の次男於義丸(のちの結城秀康)が大阪に実質上の人質として送られるときに小姓として同行した少年なのです。「上田合戦仁義」でも描かれていましたね。ちなみに、本来の手紙は「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」だそうです。