新城探訪記〜山の湊新城の神社・お寺

大好きな町、山の湊新城をご紹介。神社、お寺、石造物が中心になるのかな。有名なところはすっ飛ばして、コアなところばかりかもしれません。

金刀比羅宮・長篠

新城市立鳳来中部小学校北側の斜面に鎮座する小さな神社です。
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決して広くない境内に、様々な石造物がありますが、その全てについて説明看板にまとめられているのが嬉しいです。
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急な石段を登ると社殿があり、これで全部という小さな神社です。
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この地に金比羅様が勧請された年代は詳しく伝わっていませんが、享和3年(1803年)に再造立されたことはわかっています。
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現在の社殿は平成7年に長篠区民の熱意により再建されたとのこと。今も区民によって管理されています。
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不動明王像や役行者像など、バラエティ溢れる石造物が並んでいます。
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社殿の裏に更に上に登る道がありましたが、そこには墓地がありました。かなり急なので、お参りは大変でしょうね。
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社殿の脇にある祠は水神様だそうです。
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こういう地元密着型の小さな神社が大好きです。

富永神社・長篠

新城市立鳳来中部小学校の体育館のすぐ隣、少し開けた明るい場所にある神社です。国道からは長篠久保畑の交差点を曲がると正面に鎮座しています。
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主祭神須佐之男命で、創建時期は詳しく伝わっていません。
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旧長篠村の氏神で、御社体(御神体)は神仏習合須佐之男命と同一とされる牛頭天王です。
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しっかりとした社務所も併設されています。
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社殿横には御神木であるクスノキの大木があります。
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拝殿前にある消毒薬ですが、アマガエルが「見るなよ」と言いたげに隠れていました。
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拝殿にたくさんの「金的中」の札があると思ったら、境内には安土がありました。

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拝殿前から豊川方面を眺めます。これがいつも神様がご覧になっている風景です。
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祭では相撲が行われるのでしょうか。シートを被せた土俵がありました。
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国道を挟んだホームセンターの隣、長篠城址へ続く弓道沿いに、ぽつんとある鳥居が以前から気になっていましたが、位置的にこの富永神社のもので間違いないと思います。
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平吉大明神・内井道南

厳島社の鳥居を潜ると、すぐ右の足元に石碑があります。
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今は草木に覆われていて、気をつけないと見過ごしてしまいます。
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これは平吉大明神と言って、昔かさの病気(天然痘のことか?)で亡くなった人が祀られているそうです。この神様に「かさで難儀してますから、治してください」とお願いすると助けてくれるそうです。明神は神仏習合での神様ですので、平吉さんはまさに「神様、仏様、平吉様」ですね。
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『新城昔ばなし365話』という本に載っている写真では左側に「奉納 丑年の女」と彫られていて、字体も少し違うので、後年建て直されたものだと思います。裏面にも年代を表す銘などは見当たりませんでした。

厳島社・内井道南

県道392号新城引佐線で弁天橋に至る手前のカーブで鳥居が見えます。内井道の厳島社です。
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空堀のような参道を通ると、トトロの世界に入っていきそうです。
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神前の灯籠は破損が激しいものばかりです。天明5年(1785年)の銘があります。
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自然石を穿った手水鉢がなんともかっこいいです。

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創建は不明ですが、地頭の菅沼氏によって崇められていたようです。社殿腐食で菅沼氏によって宝永2年(1705年)に改修されたそうです。
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御祭神は多紀理比売命、田寸津比売命、市杵島比売命の宗像三女神。市杵島比売命が弁天様と同一とされ、ここから近くの橋が弁天橋と名付けられました。
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県道側の樹木は伐採されているため、社殿の側面はよく見えます。塗装も新しく、大切にされているのが分かります。
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社殿裏には古い石垣や庚申塔がありました。
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祠には何が祀られているのでしょうか。なぜか中には古いTシャツのようなものが入っていました。
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弁天橋顕彰碑・内井道

弁天橋から100mと少し市内側に大きな顕彰碑が立っています。離れすぎていて、橋との関係に気づきにくいくらいです。
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奥に見えるこんもりした森が厳島神社、その向こう側に弁天橋があります。
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かなり大きな石碑で、びっしりと文字が刻まれています。
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台座の部分はコンクリートでできていますが、ちゃんと階段まで作られています。(草で隠れていますが)
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「弁天橋の碑」と書かれているのでしょうか。
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表面にはこの橋を使った経緯や、尽力した方々の名前が漢文体でびっしりと綴られています。
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明治43年と刻まれています。初代の弁天橋は明治に作られたようです。

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裏面には架橋同時に資金を出した方の名前と金額が刻まれています。金額から、いかに大きな事業であったのかが伺えます。
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橋を架けるというのはとても大きな仕事ですが、それによってそこに暮らす住民の生活が一変します。だから今でも新しい橋がどんどんと架けられ、古い橋も何度も架け替えられていきます。一度興味をもつと、なかなか深い世界ですよ。

弁天橋顕彰碑・内井道

弁天橋から100mと少し市内側に大きな顕彰碑が立っています。離れすぎていて、橋との関係に気づきにくいくらいです。
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奥に見えるこんもりした森が厳島神社、その向こう側に弁天橋があります。
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かなり大きな石碑で、びっしりと文字が刻まれています。
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台座の部分はコンクリートでできていますが、ちゃんと階段まで作られています。(草で隠れていますが)
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「弁天橋の碑」と書かれているのでしょうか。
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表面にはこの橋を使った経緯や、尽力した方々の名前が漢文体でびっしりと綴られています。
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明治43年と刻まれています。初代の弁天橋は明治に作られたようです。

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裏面には架橋同時に資金を出した方の名前と金額が刻まれています。金額から、いかに大きな事業であったのかが伺えます。
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橋を架けるというのはとても大きな仕事ですが、それによってそこに暮らす住民の生活が一変します。だから今でも新しい橋がどんどんと架けられ、古い橋も何度も架け替えられていきます。一度興味をもつと、なかなか深い世界ですよ。

弁天橋・内井道南

新城で「赤い橋」と言ったら通じるくらい親しまれている橋。県道392号新城引佐線が豊川を渡るところに架かっています。
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昭和31年(1956年)に造られ、橋長97.8m、橋幅5.3m。名前は橋の袂にある厳島神社に因んだものです。
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橋幅に対して交通量が多く、危険であることから平成4年(1992年)に上流側には橋幅2.5mの歩道橋が架けられました。
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ランガー橋と呼ばれるアーチ橋の一種で、真っ直ぐな橋桁の上にアーチを形成し、縦にまっすぐの鋼材で繋いでいます。
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アーチはあくまでも力を逃すものであって、補鋼桁と呼ばれる橋桁の力が強いことがわかります。
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最新の塗装は平成15年(2003年)。橋にはこういう表示もあるので、探すと楽しめるんです。
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上流側は大きく川が蛇行しています。
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下流側は岩肌がごつごつしていて勇壮な景観。でもこちら側は車道の橋なので車通りが多くとても怖いので、お勧めしません。
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この橋があるかないかで住民の生活が大きく変わります。そのため架橋の顕彰碑も少し離れたところに建てられています。