旧巴小学校の横を通るとき、木や草に隠れた看板がちらりと見えることが気になっていました。絡まった蔦を取り除き、紫陽花の枝を少しどかせてみると、そこが姫塚という奥平貞久の夫人の墳墓だということがわかりました。
すぐ近くには貞久の墳墓である武人塚もあります。貞久は亀山城二代城主で広大な領地をもつ名君だったそうです。貞久の子は貞昌ですが、のちに信昌と名乗る武将とは別人で、彼の曽祖父にあたる人です。
ここは紫陽花が色とりどりに咲いているところ。作手を訪れているライダーたちの目も楽しませてくれます。
※別ブログより転載